ベートーヴェン 【歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第69回】出生日が2説ある偉大な作曲家のホントの性格、曲のイメージからどっちに近い?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第69回~ベートーヴェン~
■12月16日生まれと12月17日生まれの違い
①社交性が高くリーダーシップがあったかどうか。12月16日はリーダーシップを持ち組織を作れるタイプ。一方、12月17日は一匹狼のマイペースで職人気質。
②真面目で安定を好んだか。12月16日は新しく奇抜なことが好きなベンチャー向きのタイプ。12月17日は真面目で几帳面、安定志向で公務員向きのタイプ。
③どんな恋愛観、結婚観を抱いていたか。12月16日は女性大好き、恋愛大好きで、惚れっぽいイメージ。それに対し、12月17日は付き合った女性とは結婚を考える一途なタイプ。
④グルメで遊び心を持っていたか。12月16日は遊び心を持っていないストイックなタイプ。12月17日は喋ること、遊ぶことが大好き。グルメで食べることが大好きなイメージ。
以上の5点に焦点を当てて、ベートーヴェンの生年月日を考察していく。
①ベートーヴェンのリーダーシップについて
音楽室に飾られているベートーヴェンの肖像画からイメージされるように、ベートーヴェンは、気難しく人付き合いが下手だったという話は有名だ。あちらこちらで衝突を起こした。師匠であったハイドンから、楽譜に「ハイドンの弟子」と添えるように命じられると「あなたは確かに私の師匠だが、あなたから学んだことはないもない」と言い放ち、けんか別れしたのだとか。
また、ベートーヴェンは「野獣」と呼ばれるほどの強い癇癪持ちだった。パーティー等でピアノの演奏を求められても頑として弾こうとはしなかったり若手音楽家が演奏を間違うと怒号を飛ばしたりというエピソードも残る。身近な人に対しての対応はさらにひどく、楽譜を破られたり噛みつかれたりした弟子もいたのだとか。結果として、本当に学びたいと思う芯のある弟子以外は次々とやめていったという。女中さんに対しても、モノを投げつける等したためしょっちゅう逃げられ、何度も女中を変えざると得なかった。一匹狼でマイペース、とてもリーダーシップを持っていたとは言えないだろう。
【この点は12月17日説が有力といえる。】
②ベンチャー向きのかぶき者か、公務員向きの安定志向か
ベートーヴェンの作曲スタイルはよくモーツァルトと比較されるが、ベートーヴェンはモーツァルトのように、頭の中で曲を完成させて、スラスラと楽譜に書き起こすのではなく、何度も何度も試行錯誤を繰り返し、何度も楽譜に修正を加えたという。この点だけを見ると、真面目な性格で「公務員向き」と捉えられるかもしれない。
しかし、とても安定志向とは思えない。ベートーヴェンが生涯で引っ越しを60回以上行ったことは有名だ。常に新しい刺激を求めていたのだろう。また、難聴や腹痛等、様々な症状を患っていたベートーヴェンだが、患者としては全くの落第生だったという。医者から1時間ごとに小匙1杯ずつ服用するようにと処方された水薬を大匙1杯ずつ飲み、かえって気持ちが悪くなった挙句、水を飲んで薄めてみたり…お酒も大好きで、食事療法も3日と守れなかったという。また、ベートーヴェンは人目を気にする性格ではなかった。服装に無頓着で、浮浪者と間違われることもしばしば。文明社会からは完全に乖離していたという。それだけ作曲に力を注いでいたともとれるかもしれないが、いずれにせよ、相当な変わり者であったことは確かで、新しいこと好き、奇抜なベンチャー向きの性格だったと考えられる。
【この点は12月16日説が有力だ。】
③ベートーヴェンの恋愛観、結婚観について
ベートーヴェンは生涯独身だった。しかし、女性に興味がなかったわけではない。興味を持った女性に対して、ストーカーまがいの行為を繰り返している。最初に恋をしたのは、ベートーヴェンが14歳の時、ピアノのレッスンをしていた、ドイツ・ボンの名門貴族ブロイニング家の長女・エレオノールだと言われる。しかし、思いは受け止められず、エレオノールは医師と結婚してしまう。思いを断ち切れなかったベートーヴェンは、その後も彼女に変奏曲やソナタをプレゼントした。
続いて29歳になると、ピアノを教えていた、ハンガリーの名門貴族ブルンスヴィク家のヨゼフィーネに心を惹かれ、手紙付で曲を送った。しかし、これも失恋…。加えて、この頃のベートーヴェンは徐々に耳が聞こえなくなってきており、失恋のショックも相まって、あの名曲「運命」を作曲した。その後他の男性と結婚したヨゼフィーネだが、ベートーヴェンはすかわず情熱的な恋文を送り続けたという。32愛になると、ヨゼフィーネの従兄弟・グイッチヤルディ伯爵令嬢のジュリエッタに恋をする。この恋も身分の違いから実ることはなかったが、かの有名な「月光ソナタ」を彼女に贈っている。
40歳になると、友人の紹介で28歳のテレーゼ・マルファティと出会い、恋をする。最終的には交際拒否の連絡をもらうが、恋が始まったころに作曲したのが「エリーゼのために」。ベートーヴェンの字が汚かったために「エリーゼ」と読まれてしまったが、本当は「テレーゼ」だったとも言われている(諸説あり)。続いて別の人妻に恋をし、「私の天使、私のすべて…永遠に」という熱烈な手紙を出している。
身分の違い等から結婚には至らなかったものの、恋多き男性だったようだ。また、その恋心が有名曲を生み出す起爆剤となっている。なかなかに惚れっぽいベートーヴェンであるが、どの人に対しても一途に熱い思いを寄せている。プレイボーイとも結婚向きの性格とも言い難い。
【この点については、12月16日説とも12月17日説ともどちらともいえない。】
④ベートーヴェンの遊び心、グルメについて
ベートーヴェンは、グルメとは程遠い生活を送っていたという。晩年のベートーヴェンの家で食事をしたヴァイオリニスト・ベームは「ベートーヴェン宅の食事は非常にまずい。とても口に入らないようなものも少なくなかった。スープは水の如く、肉は固く油は臭い」と述べている。しかし、それを悟られてはならぬと必死で繕い続けたという。なお、コーヒーにはこだわりを持っており、毎朝自分でブレンドした豆をきっかり60粒をミルで挽き、ドリップ式でコーヒーを淹れた。先に述べたように、非常に気難しい性格で、ストイックさすら感じる。
【この点は12月16日説が有力である。】
以上より、四柱推命的には、ベートーヴェンは、どちらかというと、12月16日に生まれたと結論付けた。しかし、若干の疑問が残る。ベートーヴェンはなぜ耳が聞こえなくなったのかについては諸説があるが、鉛中毒を原因とする説が有力である。当時のヨーロッパは酢酸鉛を甘味料として食品添加物に使っていたが、ベートーヴェンはこれを好み食しており、毛髪からも鉛が検出されている。鉛中毒は、ベートーヴェンが悩まされ続けた、難聴、腹痛、下痢を伴う。さらに、癇癪や憂鬱もそれが原因とも考えられる。歴史に残るベートーヴェン像は、本来持って生まれた性格ではなく、病気が原因で変わってしまった可能性は否定できない。そうなると、この結果も疑わしくなることを注意書きとして加えておきたい。
まもなく年末。世界各国でベートーヴェンの第九を聞くことになろう。周りの目を憚ることなく全身全霊を注ぎ、何度も何度も修正を加えながら大作を練り上げたベートーヴェンに思いを馳せ、第九に耳を傾けたいと思う。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。